目次
●巻頭言
●特集:肥後っ子ばんざい
〜未来にかがやく子どもたちのために〜
●教育Q&A
●私のひとひねり
●クローズアップスクール
●教育改革コーナー
●県教委だより
幼稚園との合同授業(八代市立代陽小学校)
巻頭言   「教師としての座標軸」
熊本県立済々黌高等学校長 川上 清司

「教師とは恐い職業である。子どもの魂を頂かるということに関しては神に近い仕事である。なぜなら、教師が出会う子どもは、命と魂を持った生活者であり、学習者なのだから・・・。」
 子どもの本質は変わってはいない。教師の持つ知的、道徳的な卓越さに対して畏敬や尊敬の念を抱くのである。それゆえ、子どもの可能性に対する信頼と粘り強い働きかけこそ、子どもとの真の出会いを可能にする。

 「何でこんなこともできないんだ。」と思ったら、教師失格である。「何でこんなことも私はちゃんと教えられないのか。」と、自らの指導や感化力を問い直さなければならない。注意されている子どもが教師の前で不貞腐れているのは、その背景をその教師が作っているからだと言っても過言ではない。
 人間のおろかさ、弱さについてのしたたかな自覚や、人が人を教えることの限界の認識があってはじめて、教育は成立する。よき指導は、教師自信も変容、成長させていくものである。自ら学び、自ら考えることは、まず、教師から始めなければならない。己を教育しようとしない人に他者を教育することは不可能である。
 生涯を通してたゆまぬ向学の徒であること、よく教えるためには、よく学ぶ必要があり、よく学んで初めてよく教えることができる。自分の生き方に大きな関心を持ち、健気に己の課題に取り組んでいる教師の姿に接することほど、子どもを刺激し、感化するものはない。
 教育技術や授業のうまさより、教師の表情や意欲が人を納得させ、子どもを変えていくのである。息づかいさえも聞こえる大人として、子どもに接する質において教師の人間性や力量が問われるのである。
教師は子どもたちからまねられても恥ずかしくない人間になろうとする努力が必要である。常に教育者としての在り方を自らに問いかけながら、生涯、理想の教師像を追い続けるという謙虚さを失わない人こそ、真の教師であろう。
 「教師は一生かかって教師になる。」と言われるように、それ程までに人としての生き方や人生に対する備え、価値に対するこだわりなど、人間としてのスケールが問われる職業と言える。その意味においては、厳しく言うならば、教師は一日二十四時間を通じて教育者であり続けなければならない。